【はじめに】 基本的に、ここで書くのは言葉的な解釈だけです。「曲のテーマ」とか「メッセージ」とかは聴いたひとそれぞれが感じるものなので、そのあたりの考察にまでは踏み込まないようにしたいかなと思います。

HAPPY
BUMP OF CHICKEN
トイズファクトリー
2010-04-14



【歌詞の大まかな意味】

もらえるなら、せめて強い体がほしい。
大人になってからはそんな願いごとをするようになった。
子どものようにか弱いままの心が、
悩みに押しつぶされてしまう夜も多くなったから。

それでも彼は生きつづけながら、
自分の価値を確かめようともがいてる。
現実を何とか受け入れながらも、やっぱり幼い夢を見つづける。

降ってくるなぐさめの言葉に身をひたして、
こっそり涙を流せたらいいとは思う。
だけど泣いて解決するものなんかじゃないこともわかってる。
ぐずぐず考えているうちに、現実はすぐに明るく自分を照らして追い立てる。

「悲しみはいつか消える」?
それなら、喜びも同じようにいつか消えてしまうだろう。
救いの神はいったいどこだ。ぼろぼろになりながらそう思う。
何と戦っているのかさえわからないのに、心の傷は確実に刻まれていく。
それでも試行錯誤を重ねながら、おそるおそる自分の道を進んでいく。

 

もらえるなら、抱えきれないくらいの知識がほしい。
大人になってからはそんな願いごとをするようになった。
子どものようにか弱いままの心を守るために、
せめて頭だけは良くしたいと思うから。

彼女はどうにか生きつづけながら、
嘘偽りのない気持ちを見つけようとしている。
一緒にいられるなら笑顔でいられなくたってかまわない。
そう思えるほどだいじな人の手を握りながら。

降ってくるなぐさめの言葉できれいにしても、胸の傷は治らない。
心を捨てて、痛みを忘れてしまうことは、思ったよりずっと難しかった。

生きることをやめるのも、勇気がいる。
それほどの勇気があるのなら、怖くてもきっと生きていける。
大切なものは消えてしまったけど、
それがあった場所はちゃんとあなたの心の隙間になって、
消えることなく残ってる。

他人の力を借りたっていい。それがあなたの中で確かに脈打つなら。
いま終わらせなくても、どうせいつかは終わる人生だから、
生まれてきた幸せを、いま生きている幸せを、僕と一緒に歌おう。

 

なぐさめの言葉はやがて消える。
僕らのことなんかお構いなしに、世界は虹のように美しく目の前に広がる。
「飯でも食って、それからまた行こう」
そんなふうにあっさりと、明るい太陽みたいに照らしてくれる。

悲しみが消えないのと同じように、喜びだって消えてはしまわないんだ。
救いの神に祈る必要なんかない。
それよりだいじな人の手を握ろう。
人生の勝ち負けはわからないけど、守りたいものだけは確かにある。
かつての少年は、自分自身で見つけた夢を、
そうやって守りながら大人になった。

生きていくことは怖いけど、
その怖い道のりの中にも、自信をくれるものはきっとあると思う。
大切なものがあった心の隙間を、
それが埋まる時まで、忘れずにずっと抱きしめていてほしい。

もし、消えないほど強い悲しみがあるのなら、
生きていくことの喜びも、同じようにあるはずだ。
どうせいつかは終わる人生だけど、
生まれてきた幸せを、いま生きている幸せを、僕と一緒に歌おう。

 

【補足】
◆歌詞の登場人物について
ナタリーのインタビューでは、藤原さんは次のように語っています。

「登場する少年も少女も、僕の友達なんですけど。『少年』『少女』と表現してますが、僕と同世代の友達で。その2人に対しての、僕なりの思いを書いたんです。だから友人に贈った曲……贈った、なんて言い方はちょっとおこがましい気もしますけど。で、どうしてそういう曲を書いたか、っていうと、それは2人のすごくプライベートなことがきっかけなので、それをお話することはできないんです。」
(https://natalie.mu/music/pp/bumpofchicken02)

上のインタビューを参考に、全体の解釈は、ある男性と女性、それに語りかける「僕」という三人の登場人物を想定しています。

 
◆「Happy birthday」という歌詞について
この歌詞は年に一度の誕生日を祝う言葉ではなく、単に生まれた事実を祝福する意味に使われているようです。インタビューでも藤原さんは以下のように語っています。

「『Happy』と『Birthday』がセットになってひとつの単語になっている、というところからまず始まりました。で、『Happy Birthday』って誕生日に言う言葉ですけど、あまり『お誕生日おめでとう』という気持ちでは歌っていません。その言葉自体は、いつ言ってもいい言葉なんじゃないかな。というか、そういう意識自体はいつ持っていてもいいんじゃないかな、と思います。これは曲と関係なく、その言葉自体に対しての気持ちですけど。曲と関係したところで言うと、この言葉に対してどう思ってくれるのかな、っていうのがある意味僕も楽しみで。そこは、聴いてくれる人それぞれでしょうし。」

※ 2018/03/15更新