【はじめに】 基本的に、ここで書くのは言葉的な解釈だけです。「曲のテーマ」とか「メッセージ」とかは聴いたひとそれぞれが感じるものなので、そのあたりの考察にまでは踏み込まないようにしたいかなと思います。

カルマ / supernova
BUMP OF CHICKEN
トイズファクトリー
2005-12-14



【歌詞の大まかな意味】

この世に生まれ落ちた命がひとつ。
それを追いかけるように生まれた命がもうひとつ。
だけど命の居場所はひとつ分だけ。
もうひとつはどこかへ消えた。

自分の居場所を占拠しないと生きてはいけないから
誰かにそれを取られないようにずっと守っている。

ほかの誰かを押しのけて自分は生まれたの?
そう思うと、正しく生きてきたはずなのに、
自分の人生が汚れて見える。
こんなの気のせいだ、と思いたいのに、
お前が忘れてしまっただけじゃないのかと、頭の中から声がする。

「同じ心臓の音を探すなら、いつか必ず、
僕らはめぐりあうことができると思う。
僕はここにいるよ。いつも君を呼んでるよ」

生きる理由さえ古びてぼろぼろになって、
でもそれがふたつ分、重なるときが来るのなら。
そのときこそ、自分の生まれた意味を知るときだ。

 

生きつづける限りは、居場所を占拠しなきゃしょうがない。
命の居場所はひとつ分。
ふたつが入る隙間はない。

生まれ落ちた命がひとつ。
押しのけられた命がもうひとつ。
誰かから横取りした居場所で、自分は生きている。

これまで生きてきた年数をかぞえたところで、それはただの数字でしかない。
本当に知らなければならないのは、最初の一歩、
この世に生を受けたその瞬間のことらしい。

「生まれた瞬間に打ち立てた、泣き声という名の自分のシンボル。
それを目じるしにすれば、同じ声を持った僕らは
いつかめぐりあうことができると思う。
僕のことを忘れないで。いつも君を呼んでるんだから」

ぼろぼろの生きる理由をふたりで重ねて、
お互いの抜けた部分を埋めることができたなら。
そのときこそ、僕らは未来に向けた約束をすることができるはずだ。

 

僕らはお互いがお互いの鏡だった。
それぞれが背負うものを映す、もうひとりの自分自身だった。
汚れたお互いの存在を、それがきちんとそこにあることを、
手を伸ばせばきっと確かめられる。

「僕はここにいるよ。ちゃんと君のことがわかるよ。
ひとりしかいられない居場所に、僕らはふたりでいるんだよ。
僕のことを忘れないで。いつも君を呼んでるよ。
押しのけられたわけじゃない。同じ命の中にいるんだよ」

きっと僕らはめぐりあうだろう。
ぼろぼろになった生きる理由を葬って、
ふたりで新しい理由を手に入れることができるなら。
そのときこそ、僕らの約束が果たされるときだ。
僕らが本当の意味でひとつになるときだ。



※ 2018/03/16更新