【はじめに】 基本的に、ここで書くのは言葉的な解釈だけです。「曲のテーマ」とか「メッセージ」とかは聴いたひとそれぞれが感じるものなので、そのあたりの考察にまでは踏み込まないようにしたいかなと思います。

supernova / カルマ
BUMP OF CHICKEN
トイズファクトリー
2005-11-23



【歌詞の大まかな意味】

体調が悪くなって初めて、自分に体があることを意識する。
息が苦しくなって初めて、それまで呼吸をしていたことを理解する。
それと同じで、君がいてくれることも、頭ではわかっているつもりでいるけれど
君の大切さに本当の意味で気づくのは、いなくなったあとなんだ。

さしのべられた手を拒んだときに、大きな地震が起こるかもしれない。
そうしたら僕は考えを変えて、一度拒んだ手を守るだろう。
その手を守りたかったんじゃなくて、ただの自己満足のために。
それと同じで、君のことも、ずっと大切にしてはきたけれど
ただ自分がひとりになるのが怖くて、離れられなかっただけなんだ。

 

他人と話していると、どうしても言いたいことなんか大してないことに気づく。
だからとりあえず相手の話に合わせるようなことをするんだけど
そうしたら、言いたくても言えない気持ちの方は、本当はたくさんあることに気づく。
君がいてくれることにも、もちろん感謝を伝えつづけるけど
本当の気持ちは、「ありがとう」なんて言葉じゃ表わしきれないんだ。

 

それでも終わりに向かって進んでいく、僕らの限りある時間の中で、
ひとつでも本当の気持ちを見つけたくて
本当の気持ちを伝えたくて…

 

自分の年齢をかぞえると、短くても生きた歴史があったことに改めて気づく。
そして、その人生にもいつか終わりが来ることを知る。
君の歴史も、存在も、終わりが来たあとで思いだすのは簡単だろうけど
やっぱり欲しいのは、思い出じゃなくて一緒にいる今の時間なんだ。

君との日々を思いだすのは、君を忘れてしまったあとだろう。
君と会ったことに価値を見つけるのは、君をなくしたあとだろう。

ひとりひとりの存在は小さいものだけど
その誰かがいるおかげで、ほかの人の世界は作られる。
だから君の存在だって、
何度も不安で確かめたりするけれど
本当は君がいなくなっても、僕の世界の中にちゃんとある。

君がいなくなったあとも、
僕らの時間は続いていくんだ。

 

【補足】
◆「延べられた手を守った その時に 守りたかったのは 自分かもしれない」について
この曲のAメロの構成は、身近な例えを示し、そこから「君の存在だって」と人間関係に当てはめる、という流れで一貫しています。

「延べられた…」の歌詞も、あとに続く「君の存在だって…本当に恐いから 離れられないだけなんだ」の例えになっている部分と思われます。ですのでここは「恐いから離れられない」ことの例えであり、「拒んだ手を、気を変えて守ったのは、相手を守りたかったんじゃなく、自分が一人になるのが怖かったからだ」くらいの意味にとることができます。

※ 2018/03/16更新