【はじめに】 基本的に、ここで書くのは言葉的な解釈だけです。「曲のテーマ」とか「メッセージ」とかは聴いたひとそれぞれが感じるものなので、そのあたりの考察にまでは踏み込まないようにしたいかなと思います。

ユグドラシル
BUMP OF CHICKEN
トイズファクトリー
2004-08-25



【歌詞の大まかな意味】

ちゃんとした人間らしく生きることを、
誰かに強いられるようになったのはいつからだ。
それに見合うだけの報酬なんか、一度ももらえた気がしないのに。

知らないうちに勘違いをしていた。
本当は誰にも強いられちゃいなかった。
そのことを分かってはいたけど、分かった頃にはもう遅くて、
ただ淡々と毎日をこなすことしかできなくなっていた。

別にそれが嫌なんじゃない。ただちょっと疲れただけ。
誰かに雇われてるわけでもないのに、
たまには休みたい、って言いたくなる。

この人生で、自分が奪われてきたものは何だろう。
逆に他人から奪い取ったものは何だろう。
そんなことも思いだせないのは、あまりに何度も取ったり取られたりしすぎたからか。

それは周りの世界が汚くなったからか。
それとも自分がずるくなったからか。
どっちにしても、目をそらすことなんかできないよ。
そういうのが全部、いつまでもいつまでもいつまでも繰り返される、
正常で普通の人生なんだから。

 

孤独で、うつろな心で、ただじっとして。
誰かに手を差し伸べてほしいのに、その思いさえ声には出さない。
いつの間にか、ちゃんとした人間らしく生きられなくなっていた。
ちゃんと生きようと思って頑張りはしたけど、
結局のところ、意味もなく頑張るだけで満足していた。

かつての理想とか、望みとかが頭をちらつく。
そんな輝くものたちを、自分はまた目指せるだろうか。

魅力なんかないし、他人を思いやることもできないのに、
生きる資格なんかないのかもしれない。
でも笑ってごまかして、あとでひとりで泣いている。
誰にも気づいてもらえないのは当たり前。
だって自分で隠してるんだから。
ただ一日一日一日を繰り返していく、そんな正常で普通の人生の中で。

 

受け入れてもらいたいと強く願って、
でも触れられるのが怖くて、あんたが閉じこもった心の檻の中。
その狭い隙間から、無理やりにでも引きずり出してやるよ。

たとえ昔のようにきれいじゃなくても、しっかり向き合ってほしい。
そうやって見ている世界は誰のものでもない、
あんたが生きていくための世界だから。
いいからそのままのあんたで、生きていけばいいんだよ。
そういうのも全部、毎日毎日毎日毎日くりかえしていく、
正常で普通の人生なんだ。

 

ちゃんとした生き方を強いられたのはいつからだ。
それができなくなったのはいつからだ。
じゃあ今何してるんだ。
自分で望んで生きてるんだ。自分で選んだ生き方なんだ。
誰に強いられたものでもない。ちゃんと分かっていた…

 

【補足】
◆「人間という仕事を与えられて」について
これを単に「人生の始まり=生まれた時」という意味にとらえてしまうと、曲の意味がよくわからなくなります。たとえば二番の歌詞では「人間という仕事をクビになって」いるからです。「人間という仕事」は「生き物としての人生」というよりも、「与えられた日常」や「選んだ生き方」という意味で理解したほうがしっくりくるかと思います。

これについては、この曲から誕生した『人形劇ギルド』という映像作品について語られたインタビューが参考になります。以下は藤原さんの発言です。

「曲作りの最中に寄り道をして、こういう映像なのかなっていうふうに思い浮かんだのが、『クレイアニメで撮りたいな』ということだった。僕らが出るとかではなくね。イメージはクレイアニメで、炭鉱夫が坑道をひたすらガシガシ掘ってるっていうイメージと、蒸気がブシューッってなるイメージ。映像のあちこちから、ブシューッって音だとか、ガッチャンっていう音だとか、カンコンカンコン掘っている金属的な音とかが聞こえるイメージがあった。」

「別に、炭鉱の歌を書きたかったわけではないんです。お仕事の歌ではあるんですが、お仕事ってひとえに言っても、どのお仕事だって、取り組み方次第では非常にドラマティックなものなんですけど、その仕事が単調になってしまっていて、『どうなのよ?』って歌です。非常に簡単に言いましたけど(笑)、そういう日常に身を置いて『どうなのよ?』って歌じゃないですか。そういうところからイメージしやすいのが、炭鉱――ただひたすらもくもくと掘ってるって感じだったのかなという気がします。」
(http://ent2.excite.co.jp/music/interview/2006/bump/int_01.html)

※ 2018/03/19更新